華道の名門の次期投手である沙羅は、自分が跡を継いでいいのかと毎日悩んでいた。そんなある日、鏡に吸い込まれた先は異世界と繋がっていた!次期王と名乗る褐色の美青年の境遇は自分と似ており、二人は次第に心を開くようになり──。
あらすじ
「私はお前が欲しい」──
由緒正しき華道の名門家元・仙波家の次期当主である沙羅は、平凡で退屈な自分が家を継いで良いのかと悩む日々を送っていた。
いよいよ「後継の儀」が迫ったある日、離れの鏡に吸い込まれた先の花咲き乱れる“異世界”で、目を見張るほど美形な褐色の青年に出会う。
現実離れした状況と、自らを「次期国王」と名乗り馴れ馴れしく接してくる青年に反発する沙羅だが、青年の境遇が自分とよく似ていると知ったことで、徐々に心を開いていき──。
「あちら」と「こちら」に隔てられた、ふたりの恋の行方は!?
ネタバレあり感想まとめ
華道の名門・仙波家に生まれた沙羅は今度の生花の展覧会を機に家を継ぐことになる。次期投手としての周りからの羨望や重圧を感じながらも、それ以外は平凡である自分が家を継ぐべきなのかという不安を抱えていた。いつものように花を生けていると、初歩的なミスで枝を折ってしまう。今度の「後継の儀」でのテーマは「己」、ふと鏡で自分を見ていると鏡を通過してしまい、たどり着いた先は花が咲き乱れる庭園だった。あたふたしていると、不意に声をかけられる。とっさに誰だ!と聞くが、沙羅がたどり着いた先の国ではお互いに名を交わす事は求婚の意を持つ、と言われ前言撤回。状況を整理し、夢だと思い込もうとするも、声をかけた男も鏡を通過して自分の元いた部屋に来てしまう。二つの空間を、鏡を挟んで行き来できるようになってしまったのだ。
それからというもの、男は何度も「断り」として綺麗な花を土産に遊びに来るようになる。本名を知ってはいけないため、沙羅が勝手に男の名を「ナナシ」と名付けると、ナナシにも「お前はよくハアというからな」という理由で「ハア」と呼ばれることに。花を生ける沙羅に見惚れるナナシは、もらった花を飾りきれないと言う沙羅の髪に花を差し、「見事だ、花もお前も」「決めたぞハア、お前が欲しい。我が宮中の花の全てを任せよう」と言い出す。突然のことに王様かお前は!とツッコミを入れる沙羅だったが、ナナシは本当に次期ではあるものの王位継承権を持つ唯一の王子であった。今までの言動や豪華な服の全てが腑に落ちていく沙羅。ナナシの国ではみんなが自分にひれ伏しまるで奴隷のようだという、そんな中での縁談など魅力的に感じられず辟易していたところで沙羅と出会い、自分の身分を気にせずに怒鳴って命令する沙羅を「面白い」と気に入ったのだった。ただ王室に生まれただけの木偶なのに、国民と何が違うのかと悲しい表情をするナナシ。その話を聞いて、自分のことのように思えてしまった沙羅は思わず泣き出してしまう。自分を慰めてくれるナナシはまるで花そのもののようで、もしそうだったら自分はどう生けただろうと思う。自分の部屋も沙羅の部屋と同じように仕立ててほしいと頼むナナシに、「生ける」という言葉があることを教える。
いつものように過ごしていると、こんな牢に幽閉されるなんてどんな大罪をしでかしたんだ、と聞かれてしまう沙羅。出られないわけではないことを説明すると、日本観光に興味津々の様子のナナシ。借りた服を着たナナシはとてもかっこよく、自分までドキドキしてしまい、もちろん街中の人にもモテまくる。ご飯を食べることになり、何が食べたいか聞くと、以前沙羅が食べていたおにぎりを食べたいというナナシ。梅干しに苦戦するのを見て、吐き出していいよと自分の手を差し出すが、この手は何かを作る手なのだから無下に扱うな、と言われてしまう。「お前の手で触れたものはなんでも美しい」と続けるナナシの言葉を、自分が触るよりも前から元々美しいものであり、それを自分が台無しにしてしまっていると辛く否定する沙羅。そんな姿を見て、「では、お前の手でその美しさを引き出しているのだな」「花に触れるときのお前の姿はどんな花にも勝るほど美しいのを私は知っている」と、沙羅の好きな梅干おにぎりを差し出しなから優しく支えてくれるナナシの優しさに沙羅はまた涙を流すのだった。
展覧会が近づくある日、沙羅は父の自室に呼び出されていた。自分の名前にもなっている沙羅双樹は貴重で入手が困難である、その代わりにシロツバキを使用するつもりだったのだが、「ではお前は己を象徴するものとして代用品を生けるのだな」「それが仙波を背負うお前の答えなのだな」と一蹴されてしまう。癇癪を起こした沙羅は自室に戻り、デッサン絵をビリビリにしているところをナナシに止められる。何もできず何をしても満足してくれないことに嫌気がさし、「俺は生まれた時から一生仙波の檻から出られずに死ぬ運命なんだ」とこぼす沙羅。そんな沙羅を「私を頼ればよい」と担ぎ上げ、ナナシが連れてきたのは自分が管理している庭園だった。見たこともないような綺麗な花が咲き乱れる天国のような場所を気に入って、途端に笑顔になる沙羅。ナナシは、自分が王であることを疎ましく思わないときはないのに、この庭園にいるときだけはそれも悪くないと思える、と言う。風が吹き、その視線の先には美しく咲く沙羅双樹があった。日本では珍しいその木の匂いを嗅ぐと、ナナシの匂いがしてなんだか落ち着くと言う沙羅を、この花は風貌や常に自分の目を奪うところがお前に似ていると抱き締めるナナシ。目のあった二人はキスを交わし、ベッドへ移る。体を重ね、その恥ずかしさから終わった後に沙羅が震えていると、嫌がっていた、とナナシは勘違いしてしまい沙羅双樹の花をベッドに散らしてすまなかったと謝る。またそれを、後悔したから謝ったのであり、この花はさようならを意味している、と受け取ってしまった沙羅は自分の幸せだった気持ちに傷がついたことに耐えられず「忘れて」と、ナナシを置いて自分の元いた世界に戻ろうとする。そのとき、沙羅の持っていた布が引っかかり、違う場所にいる二人を繋いでいた唯一の鏡が割れてしまう。
全部忘れたほうがいい、という沙羅に対して「忘れる…?何故」と思うナナシ。あれからいつも通りに過ごしていたが、絶望している時ほどことがうまく運んでしまうものである、と痛感する沙羅。準備をしていると、お手伝いさんが沙羅の部屋に飾られている花を見て、その花ができるだけ長持ちするようにと工夫を凝らして飾られていることに気付く。きっと沙羅の父や、沙羅の大切な人も見てくれているだろうから展覧会も成功しますよ、と言われて顔が赤くなってしまう。沙羅双樹の匂いを嗅いで、ナナシを思い出す沙羅。取り繕った「代用品」でない本当の自分の姿を唯一知っている彼のことを忘れられるわけがなく、展覧会で出す花を一から考え直すことに決める。ナナシはプライベートジェットで日本に向かっており、機内食としておにぎりが食べたいと所望する。たくさんに人がいても美しいと思うのは沙羅だけであり、そんな沙羅を手がかりもない中必死に探すナナシ。そんなとき、沙羅双樹の匂いがした場所を見つけ、そこに入ってみると展覧会の会場で素晴らしい作品を披露して周りから賞賛を浴びている沙羅の姿が目に入ってきた。沙羅に声をかけたナナシは、自分が沙羅のことを忘れられるわけがないこと、沙羅が自分を忘れていないこと、まだ沙羅に関して知りたいことがたくさんあることを伝え、自分の本当の名を伝えると共に花を差し出す。「意味はわかるな?」と聞かれた沙羅だったが、ナナシの名の一部が「シャーラ」であることを知り、自分達はどこまで似ているんだろうと思う。「仙波沙羅」と名を伝え、二人はキスを交わす。沙羅は、シャーラのところと日本を往復しながら人々に花を伝える仕事をしている。子供たち相手に教室を開く沙羅と、それを見守るシャーラ。二人は幸せに暮らすのだった。
この話は、絵が綺麗なのももちろんですが、二人が心を通わせ合うまでのテンポが早く、すらすら読めてとても良かったです。遥か遠く、違う場所にいながらもお互いの境遇や立場が似ていたからこそその苦しみも分かり合えるだろうし支えあって生きていけるのではないかと思いました。
著者:久松エイト/雪林
レーベル/出版社:Jパブリッシング/arca comics
発売日:2019/07/25